Automatism 02

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Automatism 02

2025/11/8制作の作品

「Automatism 02」は、20世紀初頭のアヴァンギャルド芸術運動とコンテンポラリーな電子音楽を融合させたジェネレーティブ・アートピースである。タイトルの「Automatism(自動記述)」は、シュルレアリスムの技法として知られる、意識的な制御を排除して無意識から湧き出る表現を捉える手法を指している。この作品は、その概念をデジタル領域に転写し、アルゴリズムという「無意識」が生成する視覚と音響の同期的な表現を提示する。
作品の中核をなすのは、p5.jsとTone.jsという二つのJavaScriptライブラリの協働である。再生ボタンを押すと、画面には抽象表現主義を思わせる流動的な線と色彩が現れ、同時に「1910年代実験音楽×テクノ」という矛盾に満ちた音楽が展開される。12音技法という、シェーンベルクらによって1920年代に確立された革新的な作曲技法が、125BPM前後のテクノビートと融合するとき、そこには100年以上の音楽史が折り畳まれている。
「Regenerate」ボタンを押すたびに、作品は完全に異なる姿を見せる。あるときは茶色と青を基調とした重厚なストロークが画面を支配し、リード音が76%を占める旋律的な音楽が流れる。次の瞬間にはピンクの柔らかな背景に繊細な線が集積し、ベースが77%を占める低音重視の構成へと変貌する。さらに別のバリエーションでは、青空のような明るい背景に多彩な色彩が踊り、リードとキックが共に86%という攻撃的なバランスを示す。
この作品が提起する最も興味深い問いは、「アルゴリズムによる生成は果たして『自動記述』たりうるのか」というものだ。シュルレアリストたちが求めた無意識の直接的表出は、人間の精神における制御不能な領域へのアクセスを意味していた。一方、この作品におけるアルゴリズムは、プログラマーによって書かれたコードという極めて意識的な設計図に基づいている。
しかし、ここで注目すべきは、パラメータのランダムな組み合わせによって生成される無数のバリエーションは、制作者自身にも予測不可能であるという点だ。BPM、各楽器の音量バランス、色彩、線の配置──これらの要素は毎回異なる組み合わせで出現し、制作者でさえその全てを事前に知ることはできない。アルゴリズムは確かに決定論的なプロセスだが、その複雑な相互作用から生まれる結果は、ある意味で「無意識」的な創発性を持つ。
「1910年代実験音楽×テクノ」という設定は、単なる様式の混合以上の意味を持つ。1910年代は、音楽において調性の解体が始まった時代であり、同時に機械時代の到来によって音自体の概念が拡張された時期でもある。ルイージ・ルッソロの騒音楽器、エリック・サティの家具の音楽、そしてシェーンベルクの無調音楽──これらはいずれも、従来の音楽の枠組みを根底から問い直す試みだった。
一方、1980年代後半に登場したテクノは、完全に機械によって生成される音楽として、人間的な演奏という概念そのものを超越した。この作品は、音楽史における二つの革命的瞬間を重ね合わせることで、「実験」という行為の本質的な連続性を示している。100年以上の隔たりを持つ二つの前衛が、アルゴリズムの中で出会うとき、時間的な距離は圧縮され、音楽史は非線形的な空間として立ち現れる。
作品のインターフェースは極めてミニマルだ。再生/停止ボタンと再生成ボタン、そして現在の音楽パラメータを示すテキスト──これだけである。この徹底した簡素さは、体験における没入を促進する。複雑な操作や設定は存在せず、鑑賞者はただボタンを押し、生成される視聴覚体験に身を委ねるだけでよい。
この最小性は、作品の概念的な核心とも呼応している。シュルレアリスムの自動記述が、意識による介入を最小化することで無意識にアクセスしようとしたように、この作品もまた、ユーザーの介入を最小化することで、アルゴリズムという「無意識」が生み出す純粋な表現へと鑑賞者を導く。
この作品がウェブブラウザ上で動作するという事実は、単なる技術的な選択ではなく、作品の民主化という政治的な次元を持つ。特別な機材や展示空間を必要とせず、インターネットにアクセスできる誰もが、この生成的な体験に触れることができる。ウェブブラウザは、現代における最も普遍的な「キャンバス」であり、同時に最も民主的な「展示空間」でもある。
さらに、ブラウザ上での体験は本質的に一時的なものだ。ページを閉じれば、生成された視聴覚体験は消失し、二度と同じものは再現されない。これは、デジタルメディアが持つパラドックス──完全な複製可能性と同時に存在する本質的な一回性──を体現している。
この作品の強みは、歴史的な芸術運動の概念を現代のテクノロジーによって再解釈し、新たな表現可能性を切り開いている点にある。しかし同時に、いくつかの問いも提起される。
アルゴリズムによる生成が「自動記述」の現代的形態であるとするならば、そこには人間的な無意識とは異なる、機械的な「創造性」の可能性が示唆されている。だが、この創造性は果たして真に独立したものなのか、それとも制作者の意図の延長に過ぎないのか。作品は明確な答えを示さず、むしろこの曖昧さそのものを提示する。
また、視覚と音響の関係性についても考察の余地がある。両者は同期的に生成されるが、その対応関係は必ずしも直接的ではない。色彩の選択が音楽のパラメータと厳密に連動しているわけではなく、むしろ並行する独立した生成プロセスとして機能している。この分離は、総合芸術という理念への批判的な態度とも読める。視覚と聴覚は統合される必要があるのか、それとも並置されることでより豊かな体験が生まれるのか。
「Automatism 02」は、芸術史における前衛的概念と現代のウェブテクノロジーの交差点に位置する実験である。シュルレアリスムが求めた無意識への探求を、アルゴリズムという新たな「無意識」を通じて再構成し、視聴覚の生成的体験として提示する。
毎回異なる姿を見せるこの作品は、完成された芸術作品というよりも、無限の可能性を内包した生成的システムである。鑑賞者は作品の「鑑賞者」であると同時に、その瞬間的な顕現を目撃する「立会人」でもある。ボタンを押すたびに、新たな芸術的瞬間が誕生し、そして消えていく。
この儚さこそが、デジタル時代における芸術体験の本質なのかもしれない。永続性ではなく変容性、所有ではなく体験、完成ではなく生成──「Automatism 02」は、こうした新たな芸術のあり方を、ブラウザという日常的な空間の中で静かに、しかし確実に提示している。

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