Lost in the self
インターネットアート作品ライブラリ | 日常刺激
Lost in the self
2025/11/22制作の作品
「Lost in the self」は、ウェブカメラで捉えた日常の10秒間を繰り返し録画・再生しながら、その映像を分析してリアルタイムに音楽を生成するインターネットアート作品である。タイトルはソフィア・コッポラの『Lost in Translation』(2003)を想起させるが、本作が探求するのは異文化間の疎外ではなく、テクノロジーとの関係における自己の喪失と再発見である。
作品の中核をなすのは、映像と音楽の完全な同期システムだ。10秒ごとにウェブカメラで録画された映像は、次の10秒間で24fps(映画と同じフレームレート)に変換されて再生される。この間、新たな10秒の録画が並行して進行し、無限のループが形成される。
映像処理には『Lost in Translation』を彷彿とさせるカラーグレーディングが施されている。彩度を70%に抑え、セピア調を15%加え、わずかに色相を回転させることで、日常の光景に映画的な郷愁が付与される。さらにフィルムグレインのオーバーレイ(透明度15%)が、デジタル映像にアナログ的な質感を与えている。
音楽生成システムは高度に洗練されている。映像から抽出されるパラメータは、明度、彩度、コントラスト、複雑さ(エッジ検出による)、動き(フレーム間差分)、色相の6つ。これらの値が、Tone.jsを通じてBPM、音階、メロディ構造、リズムパターン、オシレーター波形、ADSR(Attack, Decay, Sustain, Release)エンベロープに変換される。
特筆すべきは音階選択のアルゴリズムだ。作品は10種類の音階(五音音階、ドリアン、フリジアン、ブルース、全音音階、日本音階、平調子、ミクソリディアン、ハーモニックマイナー)を用意し、映像の彩度・明度マトリックスに基づいて選択する。高彩度・高明度の映像にはドラマチックなハーモニックマイナー、低彩度・低明度にはメランコリックなマイナーペンタトニックが割り当てられる。この決定論的なマッピングは、ジョン・ケージのチャンスオペレーションを想起させながらも、完全にアルゴリズムに委ねられている点で現代的だ。
本作の最も重要な概念装置は「10秒の遅延」である。鑑賞者は現在進行形で録画されている自分を見ることができず、常に10秒前の自己と対峙する。この時間的ズレは、ジャック・ラカンの鏡像段階論における自己認識の構造を技術的に再現している。鑑賞者は画面に映る自分を「自己」として認識しながらも、その像は既に過去のものであり、完全には一致しない。この乖離こそが「Lost in the self」というタイトルの核心だ。
さらに、録画と再生の無限ループは、ベケットの不条理劇やウォーホルの反復的映像作品を思わせる実存的な時間構造を生み出す。10秒という短い単位で時間が細分化されることで、連続的な時間の流れは解体され、鑑賞者は「いま・ここ」と「さっき・そこ」の間で引き裂かれる。
音楽生成システムが採用する音階の多様性は、西洋音楽中心主義への批判的態度を示している。日本音階(ヨナ抜き音階)や平調子といった非西洋的音階が、ペンタトニックスケールやブルーススケールと同等に扱われることで、音楽における文化的ヒエラルキーが解体される。
また、映像の「色」が音階を決定するという対応関係は、シュルレアリスムの自動記述(オートマティスム)を視聴覚領域に拡張したものと解釈できる。ブルトンが無意識からの言葉の流出を試みたように、本作は映像から音楽への無媒介的な変換を通じて、アルゴリズムという新たな「無意識」を探求している。
『Lost in Translation』スタイルのカラーグレーディングとフィルムグレインは、デジタルカメラで撮影された映像に意図的にアナログ的不完全性を付与している。これは単なるノスタルジアではなく、デジタルメディアの透明性・無時間性に対する批評である。フィルムグレインの粒子性は、デジタル映像の滑らかさに物質性を回復させ、メディウムの存在を前景化する。
この美学は、ヴォルフガング・エルンストやジュシー・パリッカが提唱する「メディア考古学」の実践と言える。過去のメディア(フィルム)の質感をデジタル的に再構成することで、作品はメディア技術の歴史的層を可視化し、デジタルとアナログの間の緊張関係を示している。
本作の強みは、複雑なアルゴリズムをミニマルなインターフェースに封じ込めた点にある。鑑賞者は「Start」ボタンを押すだけで、高度なリアルタイム処理システムと対話できる。この民主的なアクセシビリティは、ブラウザベースのアート作品の理想形と言える。
しかし、作品には批判的検討が必要な側面もある。映像から音楽への変換ロジックは決定論的であり、同じ映像は常に同じ音楽を生成する。この予測可能性は、アルゴリズミックアートにおける真の「生成性」を問いかける。ランダムネスの導入によって多様性を確保しているものの、システム全体は閉じた因果関係に留まっている。
また、10秒という時間単位は、TikTokやInstagram Storiesといった現代のソーシャルメディアのタイムフレームを反映している。作品はこの短縮化された注意経済に批判的な距離を取っているのか、それとも無自覚に再生産しているのか。この点において、作品はアンビバレントな位置を占めている。
「Lost in the self」は、デジタル技術を用いながらアナログメディアの質感を追求し、リアルタイム性を持ちながら遅延を組み込み、決定論的でありながら予測不可能性を演出する、多層的な矛盾の上に成立している。この矛盾こそが作品の核心であり、現代におけるテクノロジーとの関係の複雑さを象徴している。
鑑賞者は画面の中で迷子になった自己を見つめながら、その自己が既に過去のものであることを知る。そして、その過去が音楽として響き渡る時、鑑賞者は時間的・空間的・感覚的に分裂した存在として、デジタル時代の実存的条件に直面するのである。