Painting 05
インターネットアート作品ライブラリ | 日常刺激
Painting 05
2025/10/18制作の作品
この作品は、ウェブカメラが捉えた任意の映像を即座に「絵画」へと変換し、さらにその視覚情報から音楽を生成するという、二重の変換プロセスを経た体験型インターネットアートである。
重要なのは、カメラが何を映すかは作品にとって本質的ではないということだ。それは鑑賞者の顔かもしれないし、部屋の一角かもしれないし、窓の外の風景かもしれない。
キャプチャされた映像は、グリッチ処理によって垂直方向に引き伸ばされ、ピクセルソートのような効果を伴って抽象的なイメージへと変質する。この処理が重要なのは、元の被写体が何であるかを問わず、すべてを等しく「絵画的」なものへと変換する点にある。
木目の壁も、照明も、たまたまカメラの前にいた人物も、すべてが同じアルゴリズムの篩にかけられ、垂直のテクスチャと有機的なラインの組み合わせへと還元される。これは、写真における「決定的瞬間」の対極にある態度だ。ここでは、何を撮るかではなく、どう変換するかが作品の核心となる。
この作品には、ジョン・ケージの偶然性の音楽との興味深い共鳴がある。ケージが易経を用いて作曲したように、本作品はウェブカメラという「偶然性の装置」を用いる。しかし決定的な違いは、ここでは偶然性と決定論が入れ子構造になっている点だ。
何がカメラに映るかは偶然だが、一度映像がキャプチャされれば、その後のプロセスは完全に決定論的である。画像の色彩比率(暖色33%、寒色33%)が分析され、複雑性(0.9)が計算され、それらがBPM155のブレイクビート、Dドリアンスケール、8音からなる音階へと変換される。
コンソールに表示される詳細なログ—左チャンネルのメロディ23ノート、右チャンネルのベース128ノート、キック80ノート、ハイハット200ノート—は、この変換プロセスの精密さを示している。偶然が必然へと変換される瞬間を、鑑賞者は数値として目撃する。
「進化システム」という名称が示すように、生成された音楽は静的なオブジェクトではない。時間とともに変化し、成長し、変容する。これは絵画が持たない時間性を、音楽によって補完する試みでもある。
静止した画像から動的な音楽が生まれるというパラドックス。この矛盾こそが作品の魅力を形成している。画像は瞬間を切り取るが、そこから生成される音楽は時間を展開する。視覚的な一回性と聴覚的な持続性の対比。
画面左側に表示される技術的ログは、単なる情報ではなく、作品の批評的な核心を成している。「中立的ドリアンスケール選択」「動的テンポ計算:基準155、最終155」といった記述は、アルゴリズムの思考過程を露呈させる。
これは、ブラックボックス化されたデジタルプロセスに対する意図的な抵抗である。生成的アートやAIアートが増加する現代において、「なぜそうなったのか」を説明できることの重要性が増している。本作品は、その説明可能性を作品の美学的要素として組み込んでいる。
本作品の強度は、その無差別性にある。何を映してもいいという開放性と、しかし一度映せば厳密に処理されるという閉鎖性。この矛盾が、作品に独特の緊張感を与えている。
鑑賞者は自分が何をカメラに映すか選択できる。しかしその選択の結果がどのような音楽を生成するかは、完全にはコントロールできない。この限定的なエージェンシー(行為主体性)こそが、現代のアルゴリズム文化における人間の立ち位置を象徴している。
また、この作品は「絵画」という古典的なメディウムの名を冠しながら、実際にはコンピュテーショナルな変換プロセスである。この命名の矛盾は、デジタル時代における芸術ジャンルの流動性を示している。もはや絵画、音楽、映像といった区分は機能せず、すべてがデータの変換として理解される。
最終的に、この作品が問いかけるのは「見ることと聴くことの関係」である。視覚と聴覚は本当に変換可能なのか。もし可能だとして、その変換は恣意的なのか、それとも何らかの真実を含んでいるのか。答えは明示されない。ただシステムは動き続け、音楽を生成し続ける。