つかれた心臟は夜をよく眠る 私はよく眠る ふらんねるをきたさびしい心臟の所有者だ なにものか そこをしづかに動いてゐる夢の中なるちのみ兒 寒さにかじかまる蠅のなきごゑ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ。 私はかなしむ この白つぽけた室内の光線を 私はさびしむ この力のない生命の韻動を。 戀びとよ お前はそこに坐つてゐる 私の寢臺のまくらべに 戀びとよ お前はそこに坐つてゐる。 お前のほつそりした頸すぢ お前のながくのばした髮の毛 ねえ やさしい戀びとよ 私のみじめな運命をさすつておくれ 私はかなしむ 私は眺める そこに苦しげなるひとつの感情 病みてひろがる風景の憂鬱を ああ さめざめたる部屋の隅から つかれて床をさまよふ蠅の幽靈 ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ。 戀びとよ 私の部屋のまくらべに坐るをとめよ お前はそこになにを見るのか わたしについてなにを見るのか この私のやつれたからだ 思想の過去に殘した影を見てゐるのか 戀びとよ すえた菊のにほひを嗅ぐやうに 私は嗅ぐ お前のあやしい情熱を その青ざめた信仰を よし二人からだをひとつにし このあたたかみあるものの上にしも お前の白い手をあてて 手をあてて。 戀びとよ この閑寂な室内の光線はうす紅く そこにもまた力のない蠅のうたごゑ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ。 戀びとよ わたしのいぢらしい心臟は お前の手や胸にかじかまる子供のやうだ 戀びとよ 戀びとよ。 「薄暮の部屋」萩原朔太郎